う ば が 橋 伝 説
浜松市立中部公民館 編集・発行  わが町文化誌『浜松中心街の今昔』第5章より

 浜松市の真ん中、新川にうばが橋という橋が架かっている。昔このあたりは、広い田と、ぬま地で、橋のところには大きな池があった。
 そして今の浜松駅の近くに、藤兵衛という大金持ちの家があり、その家に五つになる可愛い女の子がいた。親たちはこの子が可愛くて可愛くて、それで年とった乳母をつけ、大切に育てていた。
 乳母はやさしく、女の子も
「ばあや、ばあや」
となついていた。
 ところが、ある夏の日のこと、女の子が突然熱を出し、
「あ、大変、お医者さんを」
と言っている中に、とうとう息が止まってしまった。親たちは可愛い子に死なれただ泣くばかり、なかでも父親の藤兵衛は、そのくやしさのやり場に、乳母のせいだとして、怒り出した。
「乳母、お前が悪い。よく気を付けないからだ。」
「はい。申し訳ございません。」
 乳母は自分のせいではないと分っていたが責任上心から申し訳ないと思っていた。
 それに女の子が親たち以上になついていて、その悲しみは親たちと同じで、自分も一緒に死んでしまいたいくらいだった。そうした時、主人の藤兵衛から、そう強く言われては生きている気はなかった。
 乳母はそっと家をぬけると、走って近くの池ほとりに来た。
「神さま、どうぞあの子を、生き返らせてください。」
と手を合わせながら、どぶんと池の中に飛び込んだ。乳母のからだは、岸の水草をゆすぶり、静かに水の底に沈んでいった。池はまた、もとの静けさにもどった。

 その時乳母の思いが通ったのか、死んだ女の子が、ぱっちりと目を開き、息を吹き返した。
「あっ、生き返った。」
女の子は起き上がって、家の人たちの喜ぶ顔を見たら、大好きな乳母のいないのに気が付き、
「ばあや、ばあや、どうしたの。」
と聞くのであった。

 家の人たちは、その時初めて乳母のいないのに気付き、
「おう、どこへ行ったろう。」
「乳母はどこへ行った。子供が死んでこんなに大騒ぎしているのに、なにをしているのだ。」
と藤兵衛も、大きな声で怒っていた。そこで皆んなは、手わけして、方々を捜し歩きした。
「ばあや、ばあや、早くきて。」
すると、そのうちに、池のほとりに乳母のはきものがあって、池の水草がなびいていることから、子供の死んだ責任を感じ、池に入って死んだことが分かった。
「そうだったのか、それで子供が・・・」
 藤兵衛も初めて、乳母の真心が分って、
「あんな事を言って、悪かったな。」
 と申し訳なく思った。それで子供に、
「ばあやはな、お前のかわりに、池に入って死んだんだよ。」
「うわーっ。」
女の子はあまりの悲しさに、声を上げて泣き出した。そしてそのまま池のほとりにかけて行き、
「ばあや、私は生きているから、早く出て来ておくれ。ばあや、ばあや、早く、早く」
すると、乳母の白い死体が、ぽっかりと水草の間に浮き上がってきた。
女の子をはじめ、藤兵衛も母親も、皆んな乳母の死がいに取りすがって、泣き、其の後丁寧な、立派な葬式を出してやった。
 其の後この池を、
『うばが池』
と言い、池の入り口にある橋を、
『うばが橋』
と言うようになった。
 やがて池は埋め立てられ、田や畑となり、明治になり浜松駅が出来て、浜松市の中央となり、橋もコンクリート橋となり、名前は昔のまま、今もうばが橋として、たくさんの人が通っている。
オレンジパパサイトへの掲載にあたっては中部公民館より民話作者の了解を得ています。